ヲカシック・レコード

われら今、真にこれ声聞なり。佛道の声をもって一切をして聞かしむべし。(妙法蓮華経 信解品第四)

アカウント名を「可咲(かえ)」から「心如(しんにょ)」にもどしました(3)

「キリト」さんの苦しい言い逃れを『六巻抄』の論を引用して破折しておきます。

 

「キリト」さんいわく、「日寛師より、華厳経の方が古いんですよ、経ですから」、「摩訶止観より華厳経の方が原点だよね」、「そもそも原点は華厳経でしょう?後世の人師の論説より、経が原点である」と。これらは「開会(かいえ)・会入(えにゅう)」という法華経の重要な法門を知らない、致命傷を明らかにしている発言ですね。

 

日寛上人(日蓮正宗第26世)『六巻抄(三重秘伝抄)』に次のような問答が料簡として掲載されており、日蓮正宗第59世・日亨上人の注釈とともに掲載しておきます。たぶん、昔から
「天台大師が華厳経の唯心偈を引用して一念三千の証明に用いていること」にケチをつけるお馬鹿なヤカラがいたのでしょうね。

 

○原文
問ふ、昔の経々(=法華経以前に説かれた経典、いわゆる爾前経(にぜんきょう)のこと)の中に一念三千を明かさずんば天台何ぞ華厳心造の文を引いて一念三千を証するや。
 答ふ、彼の経に記小・久成を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。若し大師引用の意は浄覚のいはく、今の引用は会入(えにゅう)の後にしたがふ等云云。


○通釈
問う、爾前経に一念三千が説かれていないのなら、天台大師は何で華厳心造の文(=「心はたくみなる画師の種々の五陰を造るがごとく、一切世間の中に法として造らざること無し」)を引用して、一念三千の文証としたのか?

答う、華厳経には「二乗作仏」「久遠実成」が明かされていないので、一念三千は説かれていない。
天台大師が『摩訶止観』に華厳心造の文を引用したのは、浄覚という天台僧によれば「今の引用は会入(えにゅう)の後にしたがう」と。

 

○解説
日亨上人の注釈:華厳を開会して法華経に入れた上で華厳経を引用すれば、これは法華が家の華厳であるから爾前経だからとて斥(はら)うには及ばぬということである。